朝井リョウ著/正欲

読書感想

~~あらすじ~~

生き延びるために、手を組みませんか。
いびつで孤独な魂が、奇跡のように巡り合う――

あってはならない感情なんて、この世にない。それはつまり、いてはいけない人間なんて、この世にいないということだ――共感を呼ぶ傑作か? 目を背けたくなる問題作か? 絶望から始まる痛快。あなたの想像力の外側を行く、作家生活10周年記念、気迫の書下ろし長篇小説。
(新潮社公式ホームページより)

以下ネタバレありの感想です↓

 

 

 

まず思ったのは「欲」というものは無限で、多種多様であり、その人にしかわからないものなのだという事でした。

何に興奮を覚えるのかは人それぞれで、時としてその対象は無機物であったりもするし、法律や道徳的観点から「よくないもの」と分類される事もある。

こう見ると、一見難しく感じるかもしれませんが、物語はとても読みやすく、読みやすいからこそ多様性や性的欲などいろいろと考えさせられました。

物語は、登場人物である

寺井啓喜、神戸八重子、桐生夏月、佐々木佳道、諸橋大也、田吉幸嗣

の視点で少しずつ進んでいきます。

(田吉に関しては物語の最後の方のみとなりますが……。)

その視点ひとつひとつにその人の欲や願望、考え方、それによって生まれる悩みや葛藤などが描かれており、本当の「多様性」とは何か。と考えさせられる物語です。

マジョリティ、マイノリティという言葉がありますが、その境界で生きている人、マイノリティ故の葛藤、多様性な世界とは……などそれぞれの視点で語られており、本当の多様性とは何か。と常に考えさせられました。

佐々木佳道、そして佐々木のかつての同級生である桐生夏月は「水」に性的関心をもっていました。

水に興奮するという共通点から、彼らは結託する意味で夫婦を演じるという選択をします。

そして、同じく水に興奮を覚える諸橋、矢田部陽平とSNSを通してつながります。

佐々木、諸橋、矢田部が自分たちの好きな「水」を撮影するため集まり、水鉄砲や水風船などを用いて理想の水を作っていた時、佐々木の同僚とその子供が駆け寄ってきてしまいます。

子ども達に遊びを提供するボランティア団体と矢田部が説明するも、その矢田部が後日児童買春容疑で逮捕されてしまいます。

そして、矢田部と一緒におり、水にぬれた服や水風船のはじける瞬間など、水に関するデーターを共有し、かつ撮影の時に一緒にいた、佐々木と諸橋も起訴されてしまいます。

しかし、取り調べでは3人とも水に性的興奮を覚えることは供述せず、佐々木の妻の夏月でさえ取り調べの時に水の事は言いませんでした。

言ったところで理解されない、無意味だと判断したからです。

夏月にいたっては、取り調べの際、「玩具に興奮したという供述が出てくれば状況は変わるかもしれない」という言葉に反応を示します。

ですが、その言葉に検事である寺井が「現実的にそんな言い逃れが出てくるなんてあり得ない」と言い、それに対し、「異性の性器に関心があるのはどうして有り得る事なんですか」と質問を投げかけます。

この時の夏月の心境を考えると、やるせなさと言いますか、一種の諦めのようなものを感じました。

なぜ人は多様性と言いつつ、自分とは違った思考の人間の考えを否定してしまうのか。

マジョリティに扮し、日々何とか生きているマイノリティとされている人々に関心や理解を示さず、否定から入ってしまうのか。自分は自然とそういった思考になっていないかなど、読了後色々と考えてしまいました。

冒頭にも書きましたが、作品自体とても読みやすく、だからこそ読了後色々考えさせられる作品でした。

そして、この作品を読んだことで、物事の見方が多少変化したように思います。

今まで自分とは違う考え方の人がいた場合、「なぜそういう考え方をするのか」とある種否定的な感じからスタートしていました。

しかし、読了後は「こういった考えの人もいるのか」とある意味前より肯定的意見を受け止められるようになりましたし、何より、本当の多様性とは何か。と読了後もずっと考えてしまいます。

多様性や人に理解されづらい性的欲求など、題材自体はとても難しく感じるのに、いざ読んでみるとその世界観に没入し、自然と多様性について考え、自分はどうなのだろう……。と考えてしまう作品でした。

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